{ 解説 }

森岡督行の「畏敬と工芸」のはなし
市プロジェクト2017の第1弾として、去る7月8日に、森岡書店店主の森岡督行さんがファシリテーターを務める工芸の市「畏敬と工芸」研究会のキックオフ講演会を、とんがりビル1FのKUGURUで開催しました。森岡さんがこのテーマを掲げた背景を解説し、12月の中間発表と来年9月開催予定の山形ビエンナーレ2018に向けた活動がスタートしました。

2016年の秋に、私が資生堂ギャラリーで企画協力した「そばにいる工芸」展は、柳宗悦の考え方をベースにしました。昭和3年に出版された『工藝の道』の冒頭で、宗悦は工芸を「浄土からの贈り物」と書いています。この本では、仏教哲学の説話が、工芸とからめられて、いたるところで展開されています。
若いころは「浄土からの贈り物」といわれてもピンと来なかったのですが、東日本大震災のあと、見方が変わりました。私は本屋を営んでいますが、震災直後に「生活も儘ならない状況なのに誰が本なんか買うんだ」と打ちのめされたとき、それまで日常生活の中で使っていた器や本の尊さや豊かさを実感しました。普通の生活がどれだけありがいものだったかと。また、津波と原発事故の惨状を見ては、一刻も早い復興と収束を真剣に祈りました。もちろん、宗悦の考え方とはかなり差があると思いますが、震災をきっかけに「浄土からの贈り物」という言葉が私なりに腑に落ちて感じられました。この観点が「そばにいる工芸」展に反映されました。

震災後の東北で工芸を考えるということで、今回は「畏敬と工芸」というテーマで話を進めて行きたいと思います。「工芸」と一口にいってもいくつかの言葉があるので、それをまずは見て行きましょう。大まかに4つ。はじめに「伝統工芸」。これは家や地場産業の継承が中心になると思います。伝統を守ってきた家や土地に運命づけられたものづくりと言ってよいでしょう。法律によってある程度の継承が保護されている場合もあります。
次に「民藝」。これはもう、柳宗悦の思想と実践に基づくものといっていいですね。「無名性」「手づくり」「日用品」「用の美」などがキーワード。東京駒場の日本民藝館に収蔵されているものがそれにあたります。「美の生活化」を目指す運動にもつながりました。「伝統工芸」であり「民藝」でもあるということもありえます。
そして「生活工芸」があります。これは松本在住の木工家・三谷龍二さんの存在が大きいです。「もっと単純な仕方で、僕たちは生きていける。どこか遠くへ行かなくても、ここにいて豊かな世界に触れることできる。どれもみな、ものを作ることにつながっていることだと思うのです」。という三谷さんの言葉が印象的です。多治見の安藤雅信さん、金沢の辻和美さんの作品が生活工芸に入ることを考えると、シンプルという共通項が差異として浮かび上がってきます。
最後に秋元雄史さんが唱える「工芸未来派」です。これは「用の美」とは真逆で、日常生活ではなかなか使えないような過剰な表現が中心になっています。静かな爆発ということも含めて、力強さが感じられます。現代アートと工芸のあいだという点が特徴です。

西麻布の「桃居」の広瀬一郎さんは、「工芸30年説」を唱えておられます。工芸の潮流が30年ごとに変わっていくという考えです。そして、広瀬さんも1990~2010年代は生活工芸の時代だったけれども、2020年を境に、アートと工芸の間のようなものに潮流が変わっていくだろうとおっしゃっています。ただそれは「工芸未来派」の工芸とは、重なる部分はあるにせよ、また別の工芸と言えます。

そして今回の企画ですが、東北で開催する芸術祭ですから、やはり東日本大震災に紐づけて考えていきたいと、宮本さんと相談して「畏敬と工芸」というテーマを設定しました。私が考える「畏敬と工芸」とは、どのようなものか、いくつか例をあげてみましょう。 これは、江東区の「村林ビル」です。ファサードにある五芒星のレリーフがずっと気になっていたので、ある日、ビルの管理者に聞いてみたら、これは籠目(籠の紋様)でした。連続する星型の文様は邪を払う魔除けであり、家業に「悪い気」が入ってこないようにと、ビルの正面に施したそうです。

これは子どもの服の背中に刺繍する「背守り」の図案ですが、これも魔除けです。とても美しいですね。続いて、みなさんご存知の鏡餅です。能登の漆作家・赤木明登さんが、『工芸青花』5号で、「正月に飾る鏡餅、あれはとぐろを巻いて鎌首をあげている蛇です」という内容の文章を書いておられました。しめ縄が、蛇という説は有名ですよね。蛇のかたちは縄文式土器にも落とし込まれていますが、赤木さんの見解では、それが現代の秀衡椀の文様にもつながっているというのですから、興味深いです。縄文の蛇への畏れや信仰が紋様になりかわって、知らず知らず現代に伝えられている。そもそも「祀り」は「蛇(巳)」が「示す」と書きますから、祭と蛇は深い関連があるのでしょう。
これは縄文の矢尻。猿山修さんに「畏敬と工芸」というテーマで何を連想されますかと質問したときの答えがこれでした。確かに、獣を殺すための機能美だけではない、自然への畏れそのものを強く感じます。

今日立ち上げる「畏敬と工芸」研究会では、このように、工芸の中で半ば忘れられた意味や見方の収集と展示を試みていきます。「探検隊」のようなものですね。間宮林蔵の北方探検隊、大谷探検隊、糸井重里さんの徳川埋蔵金探検隊、川口浩探検隊、石原慎太郎ネッシー探検隊…(笑)。工芸を通してみんなで時間を遡る旅です。 また、古いものだけでなく、現代の作品もリサーチして展示しましょう。例えば、森岡書店でも展覧会を開催した沖潤子さんの刺繍は、まさに「畏敬と工芸」というテーマを内包した手仕事だと私は思います。震災体験が工芸家たちにどのような影響を与えたのかを探ることは、とても意義深いことです。

12月に、この会場(とんがりビル1階KUGURU)で研究活動の成果をまとめた報告会を実施し、さらに来年9月の第3回「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」で、国指定重要文化財・文翔館を会場に「畏敬と工芸」の展示・陳列をおこないます。たしかニーチェは「古いものを新しいものとして観察するときほど、新しいものはない」というような言葉を残していたと思います。さきほどの籠目のような、もともとあったけれども、忘れられていた意味が、きっとたくさん見つかるでしょう。

森岡督行
森岡書店店主/市プロジェクト2017「畏敬と工芸」ファシリテーター