10月20日、東北芸術工科大学主催の「市プロジェクト・ウィークエンド[第1期]」のプログラム「山姥堂」にて、〈食〉研究工房の林のり子さんの座談会「山形の四季、世界の四季─共通点はブナ帯ワンダーランド!」がとんがりビルにてひらかれました。
「山姥市」のものづくり
文化庁のアートマネジメント人材育成事業の一環で行っている東北芸術工科大学の「市プロジェクト」は、地方都市で〈ものづくり〉を生業として成り立たせていこうと、ゲストクリエイターと地元のつくり手が新しいつくり方・売り方・つながる場をともに考え、実践していくプログラム。本、工芸、デザイン、食などテーマが分かれるなかで、アトツギ編集室が率いる「山姥市」では山と里、人の暮らしと自然をつなぐ場としての「市庭(いちば)」、ものづくりが交換される仕組みを考えています。
山姥市の活動は今年が3年目。その歩みは、山形の豊かな自然環境に支えられるこの土地ならではのものづくりを、上流から旅するようでした。
1年目の活動は、山の知恵に長けた地域の年長者と山に入り、樹皮や蔓などの素材、植物繊維など使えるもの・使えないものを学び、識別する目を養うことと、編み組など、素材の成形技術を習得し、ものづくりを実践すること。
2年目の活動は、自らが素材を採集し形づくった品々や知恵の交換を市庭で試みること。
そして3年目の活動は、山形での新しいものづくりのあり方を探るため、世界各地のものづくりに目を向けながら、環境要因から培われてきた文化を探ること。今回、林のり子さんを迎えた座談会は、山形と同じ自然環境を持つ国々との、感性や文化の共通点を見ていこうと企画されました。
ここでキーワードとなるのが、落葉広葉樹林帯=通称「ブナ帯」です。ブナ帯の自然と生活文化について、林さんに教えていただきました。
「ブナ帯」とは?
林さん:「ブナ帯」とは、ブナ科の落葉樹であるブナ、ナラ、トチ、クリ、クルミなどに加えて、秋に紅葉し落葉するイタヤカエデ、ナナカマド、ダケカンバなどが森を構成する樹林帯のこと。秋の美しい紅葉と冬の雪景色がみられるのは、世界の樹林帯の中で、このブナ帯だけなのです。
そして山形と日本列島の東北地方は、この稀に見るゆたかで美しいブナ帯の中に位置しています。地球上でブナ帯があるのは、1)日本を含む東アジア、2)ヨーロッパ北西部、そして3)アメリカ北東部の3地帯であり、「世界3大ブナ帯」を形成しています。
この3地帯はおたがいに遥かにへだたっていながら、共通の自然の中で、長い歳月をかけて共通の<感性>と<生活文化=フォークロア>を育んできた事が、すでに戦前から、そして戦後の国際交流や情報の流通をとおしてハッキリと見えてきています。
「ブナ帯」で生きる
林さん:美しくゆたかな自然のなかで、人々はどのように生きてきたのでしょう?
人間にとって“心地いい”自然環境は、ほかの生き物や植物にとっても生きやすく“心地いい”はずです。その自然の中で、多種類の動植物とともに、人々は狩猟、漁労、山菜・薬草・キノコの採集、草や木々を使った道具・楽器・装飾品の作成などを通して、自然の声を聴き、自然を敬い、感性を育んでいった事でしょう。これは世界3大ブナ帯に共通するところであり、今に続いている<生活文化=フォークロア>です。
これだけの<生活文化=フォークロア>が育まれ、熟成するのに、どれだけの歳月がかかっているのでしょう。これはブナ帯文化に限られた事ではありませんが…。
700万年前、アフリカに直立二足歩行の初期猿人が登場し、20万年前にアフリカで現人類=ホモ・サピエンスが誕生。そして彼らは約7万年前にアフリカ大陸をスタートし世界の隅々まで広がった、とされています。この700万年間のどの1コマが欠けていても、これだけ完成された<生活文化=フォークロア>が生まれる事はなかったことでしょう。
日本の「三内丸山集落」はBC3500〜BC2000、エジプトの「ギザの大ピラミッド」はBC2500
林さん:「エジプトのピラミッド」と聞くとはるか昔の、ほとんど神話的な遺跡のように感じられますが、「三内丸山集落」はそれより、なお1000年早くできていたようなのです!!しかも墓や神殿といったモニュメントではなく、人々が1500年間、同じ場所に住みつづけた集落遺跡、という点がそのブナ帯の<生活文化=フォークロア>の完成度の高さを示しています。
しかし、実際にどのような仕組みを人々は持っていたのでしょう?
ブナ帯の<生活文化=フォークロア>については、最近までほとんど注目されていなかったので、各方面の専門家の研究はもちろん、ブナ帯の中に暮らす皆さんにもそれぞれの生活実感の中からヒントを探していっていただきたいと願っています。
世界に目を向け、自分たちの土地を知る
林さんのお話から、日本で暮らしを営むなかでも、遠く離れた土地の日常を知ることで発見があり、新ためて足元の文化を再認識するキッカケになるのだ、とわかります。
幼少期は明治ハイカラ世代の祖父母、大正モガモボ世代の両親と東京で育ち、終戦間近から戦後の小学1年〜5年までを瀬戸内の海辺と九州の山間部で暮らした林さんは、オランダとパリで建築家として暮らすうち、東京の「ハイカラ」はヨーロッパの「日常」なのだ、と気づきます。そして帰京後、ヨーロッパでポピュラーだったパテを試行錯誤しながら作り、販売する「PATE屋」を開業。建築の世界から一転、食べ物屋さんになったのです。
ブナ帯との出会いも〈食〉がきっかけだったそう。建築仲間から依頼された宮城県での食べ物の聞き書き調査で、宮城県の山間地域の食文化の豊かさを知り、地域の人たちがさまざまな食材を山で採集していると気づいたのです。その時に出会った市川健夫著『日本のブナ帯文化』(朝倉書店)により、東北の豊かな食文化を支える自然こそがブナ帯であり、同じブナ帯の自然と文化は、遠くヨーロッパやアメリカにもあるのだ、と確信したのです。
その調査をもとにつくられた『宮城のブナ帯食ごよみ』には、宮城県の地形、動植物、採集の技、漁や猟に関する聞き書きが暦の上に配置されるとともに、日本・ヨーロッパ・アメリカの詩人や先住民の〈コトバ〉がちりばめられています。ブナ帯の自然を見つめてきた人たちの共通の感性から生まれたコトバ達です。
共通の自然帯の中で林さんが興味深く思うのは、例えばコゴミ。春の山菜の定番ですが、英国の「ロイヤルフィル交響楽団」のマークになっていて、CDの真っ黒な地に金色でコゴミのシルエットが浮き出ているもので、その意外性にブナ帯を共有している、という説得力がある、といいます。
「このほか、英国では日本と同じように山野草1つ1つに名前があり、アイゴ、ハコベ、スイバ、スカンポなどの料理が英国の山野草の本に出てきますが、世界のブナ帯の人々が集まって山野草料理を作るのはさぞ楽しい事でしょう。また英国には、薬草・香草などとして生活のいろいろな場面への生かし方のカラフルな本もあります。若いみなさんが翻訳しながら、外国の方々から、そして日本のお年寄りから各地のブナ帯事情をお聞きするキッカケになれば、と、若い皆さんに期待しています。」と林さん。
同じ自然環境で暮らしているからこそ、遠く離れた土地の文化を知ることが知恵や技術の交換につながるのです。県内で農業を生業とするある女性が座談会に参加して、こんな感想を聞かせてくれました。
「地域のお年寄りが知っている昔ながらの知恵や技は、近い将来、途切れてしまうものと感じていた。でも世界に目を向けると、自然と共存する生活文化は何万年も続いてきている。前の世代に倣った伝統や技術を受け継ぎ、伝えていくだけでなく、自分たちがこの自然環境を活かして、新しい文化を築くこともできるのだと気づいた」と。
暮らしやものづくりといった、私たちの文化全体を支える大きな自然に目を向けると、これから山形で生まれる新しい生業のあり方は、おのずとひらけてくるのでしょう。
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◎アトツギ編集室 (Atotsugi Editorialroom)
天野典子、稲葉鮎子、成瀬正憲、吉田勝信による「アトツギ」をテーマに活動するリトルプレス。山形や東京など異なる拠点を持つメンバーがあつまり、2013年に設立。地域の食、手仕事、生業や暮らしの継承などを巡り、「聞き書き」をベースに本・展覧会・旅をつくっている。2013年『アトツギ手帳│庄内の食の継ぎ方』(アトツギ編集室)を出版。展示会に2012年「アトツギ展│山と里、庄内にまなぶ」(世田谷区・生活工房)、2013年「アトツギ展│鶴岡の食の継ぎ方」(TSURUOKA FOOD EXPO 2013)。2013年より山を巡るフィールドワーク「森の晩餐」シリーズを展開する。
◎林のり子(Noriko Hayashi)
日本大学建築学科卒業後、ロッテルダム、パリの建築事務所に勤務。帰国後東京の設計事務所を経て、1973年に手作りパテ・テリーヌなどの惣菜店「PATE屋」を開く。同時に世界の食のしくみを、気候や環境、さらには歴史や文化から探る〈食〉研究工房を設立。その作業の成果から『須玉の食ごよみ』(須玉町教育委員会)、『宮城のブナ帯食ごよみ』(宮城県)などを制作。著書に『かつおは皮がおいしい/パテ屋の店先から』(晶文社)他。山形県朝日町の「あっぷるニュー豚」のメニューの提案。2015年「ブナ帯☆ワンダーランド展」(世田谷区・生活工房)を企画・制作・発表。
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※本稿は、新しい視点でローカルを発見し紹介していくサイト「real local山形」のご好意により、2017年11月21日掲載のイベントレポートを転載させていただきました。
https://reallocal.jp/44762